心の傷って見えない上に自分しかわからないから苦しい
私は今も心に傷を抱えたまま過ごしています。古傷もあれば、新しい傷もあります。
痛みの感じ方は日によって違います。
普段は気にしていなくても、ふとした言葉で痛みを思い出すことがあります。
「なんでできないの?」「どこがわからないの?」そんな問いかけですら、私は傷ついてしまいました。
人から見たら、なんでそんなことで?と思われることで傷つくこともあります。
そして自分ってダメなんだ、と自信を無くすことも何度もありました。
心の傷の難しいところは見えにくい上にすぐに治療できることばかりでない、ということです。
膝を擦りむいて血が出ていたら、目に見えるなら「怪我している。治療が必要。」と伝わりますよね。そして、傷を洗って絆創膏を貼ることができる。
でも心の傷はそういった目に見えた治療はできません。
私は、心の傷はかさぶたができるのでなく、傷を無理やりふさいだり、誤魔化したりするものかな、という印象です。
痛いってわかっている。でも痛みを感じにくくして、無理やり笑って誤魔化す。
その傷はすぐに消えるものではありません。だからこそ苦しさと痛みを感じる時間が長いと思うこともあるでしょう。
私が考える「薬」
私にとっての「薬」があるとしたら、それは「自分だけが悪かったわけではない」と少しずつ実感していくことなのかもしれません。
傷ついた原因。どうしてわからなかったのか。私の知識不足なのか、未経験なことだったからなのか。でもそれだけではない。説明があったのか、調べ方は知っていたのか。
きっと、一つずつ振り返りながら、「それに関しては私のせいだけではない」と確認を繰り返していく。
そして、少しずつ安心を取り戻していくことが、傷をこれ以上深くしないためにも大切なのではないかと考えます。
傷をちゃんと理解するためには他者の力も借りる
でも傷を見るためには他者の視点も必要です。
この傷が深いのか、浅いのか。治りかけなのか。
きっと痛みを知る自分だけでは見つけられないこともあるでしょう。
ただ、この他者の力を借りる、ということがとてもハードルが高く感じます。
理解してくれるばかりではない。かえって傷を広げてしまうことだってある。
そして、悩むうちに時間だけ過ぎてしまう。
そして「早く決めないと。勇気を出さないと。」と自分で自分を急かしてしまいます。
体力が限界なのに走り続けなければならない、と思い込んでしまうのです。
人生は続く。また歩くために、今は立ち止まる
理解されにくい傷を伝える。これは勇気がいることです。
絆創膏を貼ってくれる人ばかりではない。塩を塗りこむ人もいるでしょう。
自分も信じられない自分が他者を信じるなんてハードルが高すぎると思います。
だからこそ、私には、そんな時こそ立ち止まることが大切だったのだと気づきました。
傷を治そうとも無理やり防ごうともしない。「何もしない」という選択をする。
傷を広げないことだけを考える時間も必要だと感じます。
休んだら体力が回復して、歩けるようになるかもしれない。
体力が戻ったら再び考えることができるようになるかもしれない。
そう考えることができる冷静な自分を取り戻す、という時間を今は欲しているのかもしれません。
だから今は、自分にこう声をかけてあげたい。「今日は何もしなくて良かった」と。

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