部屋の本棚の端っこに、一冊の本が置いてある。今では年に一度開くかどうかの参考書だ。
正直、少し日焼けした、片隅の置物となっている。それでもなぜか捨てられずに残っているのだ。
いつも目にするたびになぜ捨てられないのだろうか、と考える。
私は学生の頃、とある資格の勉強をした。毎日授業以外は友人と自習室を借りて、時に真面目に、時にふざけながら勉強した。
そして、その時やった半分無理やり当てはめた語呂合わせから、友人の真面目な解説まで、その参考書に書き込みが残っている。
試験当日は人混みの中で自分の会場を必死に探したことを覚えている。
着席してから、周りの余裕そうな表情や会話が否応なく視界や耳に入ってきた。
心臓の音がやけに大きく感じられる中、開始時間を待っていた。
結果的にその資格は合格した。なんとなく自己採点で大丈夫な気はしていた。でも、どこかそわそわしながら過ごしていた。
そして、合格通知を受け取った時、ようやく喜びよりも安心したことは今でも頭に色濃く残っている。
それから数年以上経って、今では開くことはほとんどない。
他の教科書は捨ててしまったのに、その参考書だけは捨てられずに本棚に置いてある。
なぜだろうか、と毎回見かけるたびに考えていた。
ふとページをめくってみても、情報は古いし、参考にできることも少ない。
ただ、開くたびに友人とのやりとりや思い出が散らばっている。
ページをめくる度に、珍しくスマホを見ずに机に向かっていた自分の姿が浮かぶ。
気づけば窓から入る光が減り、時計の針が思っていた以上に進んでいた、そんな光景が甦る。
この参考書を開くと、そんな私がこれまでで一番真剣に取り組んだ姿が見えてくるのだ。
いつも中途半端で諦め癖がある私が、友人とともに乗り越え、必死に努力した証が刻まれている。
そんな自分の変化がその参考書には詰め込まれているからこそ、捨てられないのだろう。
使わないのだから、何度も捨てようと思った。
しかし、過去の自分の努力の記憶を残し続けるために、私は今もまだ本棚の片隅に置いている。
少し日焼けした表紙を見るたび、あの頃の自分を思い出す。きっと必要なくなる日は来ると思う。
それでもまだ今は、その参考書を捨てる気にはなれない。

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